SECTION 01
経営戦略とは何か
経営戦略とは、「経営と市場の関係の基本設計図」 であり、どの市場でどのように競争し、どこに経営資源を配分するかの基本方針である。
経営戦略(business strategy)= 経営と市場の関係の基本設計図。競争 と資源配分 の基本方針を定める。
農業においても、「何を、誰に、どのように売るか」という問いは避けられない。市場が拡大した現代農業では、価格競争だけに頼る戦略は持続可能でなく、自社の強みを理解した上で差別化や集中の方針を選ぶことが求められる。
戦略は「計画」ではなく「基本方針」。状況が変わっても揺るがない競争の基軸を定めることが戦略の本質である。
SECTION 02
戦略の2軸:ポジショニングと経営資源
経営戦略には2つのアプローチがある。ポジショニング(外部環境への適応) と経営資源(内部能力の評価) 。実践では両者を組み合わせる。
Approach 01 — Positioning
ポジショニング
外部の市場・競合・消費者を分析し、自社がどこに立ち位置をとるかを決める。
消費者の「頭の中の地図」を把握する(知覚マップ)
競合との違いを明確化し差別化する
ターゲット市場を絞り込む
※ ポジショニング論を代表する議論として、Porter (1985) などが知られる。
Approach 02 — Resource-Based
経営資源アプローチ
内部の強み・弱みを評価し、希少で模倣困難な資源を核に競争優位を構築する。
有形資源:土地・機械・資金
無形資源:技術・ブランド・人脈・ノウハウ
組織能力:ルーティン・文化・学習能力
※ 資源ベース論(RBV)として展開されてきた議論群。
農業経営の戦略実践:「どこで競争するか(ポジショニング)」と「何で勝てるか(資源)」の両方を問うことで、実行可能な戦略が見えてくる。
SECTION 03
知覚マップと差別化 ― 和牛ブランドの事例
知覚マップとは、消費者が製品・ブランドをどう「知覚」しているか を2軸で可視化したもの。農業では産地ブランドの差別化戦略に直結する。
和牛ブランドの知覚マップ(例)― 味評価 × 購入経験
高い味評価
低い味評価
低購入経験
高購入経験
松阪牛
高評価・高購入
神戸牛
高評価・低購入
飛騨牛
評価・購入ともに中高
米沢牛
近江牛
その他産地
※ 例示用の模式図。座標は概念的配置であり実測値ではない。
知覚マップから読み取れる戦略的含意:①神戸牛は「高評価だが購入経験が少ない」ポジション → プレミアム・希少感を維持することが価値の源泉。②飛騨牛は「購入経験も評価も高い」 → 普及拡大の余地を持ちながら質を維持する課題。③認知度の低い産地ブランドは、まず「購入経験を増やす」か「評価を上げる」かを選択する必要がある。
SECTION 04
競争戦略の3類型 ― 低コスト化・差別化・集中
Porterは競争戦略を3つに分類した。低コスト化・差別化・集中(ニッチ) 。農業経営者はいずれかを選択し、「どっちつかず(スタック・イン・ザ・ミドル)」を避けなければならない。
Type 01 — Cost Leadership
低コスト化戦略
同品質の製品を競合より低いコストで提供する。規模の経済・自動化・調達力が武器。
農業例:大規模水田作・集落営農で機械・管理コストを分散。1俵あたりコストの圧縮。
Type 02 — Differentiation
差別化戦略
競合が持たない独自の価値(品質・ブランド・ストーリー・体験)で高価格を実現する。
農業例:有機認証・特別栽培・産地ブランド・直販で価格プレミアムを獲得。
Type 03 — Focus / Niche
集中・ニッチ戦略
特定の顧客セグメント・地域・用途に経営資源を集中投下し、その領域で圧倒的優位を得る。
農業例:地場レストラン専用品種・飲食業向け契約栽培・地域CSA(消費者支援型農業)。
スタック・イン・ザ・ミドル警告: 「安くもなく、差別化もできていない」状態は最も危険。価格競争力も価値創出力も持たず、市場から淘汰されやすい。
SECTION 05
多角化の方法 ― 関連/非関連、水平/垂直
事業構造戦略の中核は多角化 である。技術・製品・市場の関連性 と、既存事業との川上/川下の方向 で類型化される。
多角化の動機は2つの「源泉」に整理できる。範囲の経済 (複数事業を兼営することで単独運営より費用総額が下がる)と、リスクの分散 (自然・社会経済的な変動に対し単一事業のリスクを和らげる)である。農業はとくに天候・価格・需要のいずれにも変動を抱えるため、後者の意義が大きい。
関連 × 水平的
水平的多角化
技術・製品・市場の面で同様の事業を新たに導入する。
例:トマト作経営がナス作を導入。施設・栽培技術・販路のノウハウを横展開できる。
関連 × 垂直的
垂直的多角化
既存事業の川上部門または川下部門にあたる事業を導入する。
例:養豚(肥育)経営の場合、川上 =繁殖部門の導入、川下 =ハム加工部門の導入。
2軸(関連/非関連 × 水平/垂直)で多角化を捉えると、自経営の「広げ方の選択肢」が整理される。まずは関連・水平から始め、徐々に垂直化・非関連化へ広げるのが一般的な経路。
SECTION 06
事業ポートフォリオの論理 ― 選択と集中
複数の事業全体を扱う事業ポートフォリオ の管理は、2つの問いに分解される。「どの事業を導入するか (選択)」と「どの事業にどれだけ資源を投入するか (集中)」である。
選択の論理 ― 3つの側面で事業を評価する
SIDE 01
事業の発展可能性
市場が今後拡大するか、技術や需要の伸びしろがあるか。長期視点で見極める。
SIDE 02
事業における競争力
自社が当該事業で他者に勝てる要素を持っているか。資源・コスト・差別化の優位性。
SIDE 03
他事業への波及効果
既存事業に対するシナジーや、ブランド・販路・人材面での好影響があるか。
集中の論理: 複数事業のバランスを取り、限られた資源を最も効果的な事業に振り向ける。多角化が進行した経営ほど、この調整が重要になる。次節の PPM はその判断の代表的フレームである。
SECTION 07
PPM ― プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント
PPM は、各事業を「市場の魅力度(成長性)」と「事業の競争力(市場シェア)」の2軸で4象限に分類し、経営資源の配分を可視化する代表的フレームである。
高成長
↕
低成長
高成長・高シェア
⭐ 花形(Star)
成長市場でのリーダー。投資継続で「金のなる木」へ育てる。
高成長・低シェア
❓ 問題児(Question Mark)
急成長市場だがシェアが低い。投資か撤退かの判断が必要。
低成長・高シェア
🐄 金のなる木(Cash Cow)
安定的に収益を生む。他事業への投資原資を提供する。
低成長・低シェア
🐕 負け犬(Dog)
収益性・成長性ともに低い。縮小・撤退の検討対象。
低市場シェア ←
→ 高市場シェア
農業経営へのPPM適用例
⭐ 花形の例
新品種イチゴの高単価直販。市場成長中・シェア拡大中。さらなる設備投資で規模拡大を図る。
🐄 金のなる木の例
JA出荷の主力作目(米・野菜)。価格は安定しており、新規事業への資金源となる。
❓ 問題児の例
農業体験・グリーンツーリズム事業。体験農業市場は成長中だが、自社の集客力はまだ弱い。
🐕 負け犬の例
需要低迷の加工品ライン。コスト高・価格低。経営資源を他に振り向ける判断が求められる。
PPM の背景には製品ライフサイクル と経験曲線 がある。「問題児」へ十分な投資を行って「花形」に育て、やがて市場成長が鈍化したときに「金のなる木」として収益を回収し、その原資を次の「問題児」へ振り向ける――という資源の循環設計がねらいである。製品・事業分野だけでなく、戦略的事業単位(SBU: Strategic Business Unit)にも応用できる。
SECTION 08
様々な経営戦略論 ― 脆弱性と活用法
経営戦略論は失敗事例の連続と、新理論・新ツールの連続 でもある。流行を追うのではなく、活用方法を見極める姿勢が要る。
① 脆弱な経営戦略論
過去のヒット理論が次々と現れては検証で揺らいでいる。代表例として下記が挙げられる。
コア・コンピタンス
自社の核となる中核能力に集中せよという議論。
エクセレント・カンパニー
優良企業の共通特性を抽出した議論。
ビジョナリー・カンパニー
長期繁栄する企業の共通要素を体系化した議論。
ブルーオーシャン戦略
競争のない新市場を創造する戦略論。
俗流戦略論の台頭: 軍事物・戦国武将物・スポーツ物などのアナロジー論は親しみやすい反面、理論や応用の面で難があり、無批判な導入は危険である。
② 経営戦略論の活用方法
大企業や欧米を対象とした戦略論をそのまま導入したり、他社の成功事例を直接持ち込んだりすると失敗しがちである。活用の前提として、まず次の足元を固める必要がある。
① 対象の特定 ― 誰と、何を巡って競争しているのかを言語化する。
② 経営環境の把握 ― 自経営を取り巻く外部要因を整理する。
③ 経営資源の把握 ― 自経営が有する内部能力を棚卸しする。
絶対的理論
理論を絶対視すると、机上の空論に終わるおそれ。
⇔
ケースバイケース論
現場の特殊事情に偏ると、単なる現状追認になるおそれ。
理論と現状を往復しながら検討する姿勢こそが、戦略論を実務で生かす要諦。どちらか一方に振り切らないことが重要である。
SECTION 09
ランチェスター戦略 ― 弱者と強者の対の戦法
ランチェスター戦略は、戦闘モデルの数学的研究を経営戦略に応用したもの。弱者戦略と強者戦略を対で設定 し、市場での立場に応じた戦法を選ぶ枠組みである。
区分
弱者戦略
強者戦略
基本戦略
差別化戦略
ミート戦略
5大戦法 ①
局地戦
広域戦
5大戦法 ②
接近戦
遠隔戦
5大戦法 ③
一騎打ち戦
確率戦
5大戦法 ④
一点集中主義
総合主義
5大戦法 ⑤
陽動作戦
誘導作戦
弱者戦略と強者戦略は対の関係 。両者は同じ軸の両極に位置し、立場が変われば取るべき戦法も裏返る。
国内の地域の大多数は弱者? ― この問いかけは、農業経営にも重い意味を持つ。
農業経営への含意
多くの個別農業経営や地域産地は、規模・販路・ブランド力で大手や大産地に対しては弱者の立場 に置かれる。そのとき採るべきは差別化・局地戦・接近戦・一騎打ち戦・一点集中・陽動――いずれも「正面から物量で戦わない」設計である。
たとえば、対面販売・産地直送・特定品種への集中・地域限定流通などは、いずれも弱者戦略の応用と読み替えられる。一方、大規模法人経営や全国的JAブランドは強者戦略(広域・遠隔・確率・総合)と整合する。
SECTION 10
CSV戦略と農業 ― 共有価値の創造
CSV(Creating Shared Value)は、社会課題の解決と経済的価値の追求を同時に実現する 戦略論。農業は資源・地域・環境と不可分であり、本質的にCSVと親和性が高い。
「社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、同時に、経済的価値が創造されるというアプローチ」(Porter and Kramer, 2011)
≠ CSR (Corporate Social Responsibility = 社会貢献は「コスト」)、= 戦略 (社会価値 = 競争力の源泉)
従来、経済的価値の追求と社会的価値の追求は相反する関係にあると考えられていたが、CSVは両者の相乗効果 を目指す。
Kiminami et al. による農業経営CSVの実証研究
木南章教授ら(Kiminami et al.)は、2024年のRSAI(Regional Science Association International)World Congressにて、日本の農業法人を対象としたCSV実証研究を発表した。経営構造・理念から、戦略、そして成果へと至る因果連鎖を、観測変数と複合変数で構造化したモデルである。
研究フレーム(3段構成):
STAGE 1
SAS / EMS / PHI
Management structure & philosophy ― 社会的活動(SAS)、環境管理システム(EMS)、経営者の理念(PHI)。経営の土台を成す変数群。
STAGE 2
COS / SOS / INT
Management strategy ― 競争戦略(COS: Competitive Strategy)、社会戦略(SOS: Social Strategy)、起業家精神(INT: Entrepreneurship)。戦略の3変数。
STAGE 2'
INT × SOS
複合変数 ― 起業家精神と社会戦略の交互作用。両者が結合することでCSV的な戦略形成が促進されることを捉える。
STAGE 3
ECO / SOO
Management outcomes ― 経済的成果(ECO: Economic Outcome)、社会的・組織的成果(SOO: Social-Organizational Outcome)。
このフレームは、農業経営において「経営構造・理念 → 戦略(競争・社会・起業家精神とその相互作用)→ 経済的・社会的成果」という因果連鎖を仮説化しており、農業のCSV実践を定量評価する基盤となる。
Kiminami et al. (2024) "Empirical study on the current situation of Japanese agricultural corporations: Perspectives from the creating shared value," paper presented at 2024 RSAI WORLD CONGRESS, April 8-11, 2024. / 原典:Porter ME and Kramer MR (2011) "Creating Shared Value," Harvard Business Review, pp.2-17.
農業経営のCSV実践:農地の環境保全・地域雇用の創出・食育活動は「コスト」ではなく、ブランド資産・顧客信頼・政策支援への投資として再定義できる。経済価値と社会価値を相反させず接続するのがCSVの視点である。
SECTION 11
ルメルトの戦略論 ― 良い戦略・悪い戦略とCruxの発見
リチャード・ルメルトの戦略論は、「最も弱いところに最大の強みをぶつける」 ことを戦略の基本とする。良い戦略と悪い戦略を峻別し、突破すべき一点(Crux)を見つけるための具体的手順を示している。
戦略の基本=最も弱いところに最大の強みをぶつけること。最も効果の上がりそうなところに最強の武器を投じる こと。
― リチャード・ルメルト『良い戦略、悪い戦略』
『良い戦略、悪い戦略』 ― 良い戦略と悪い戦略の見分け方
Good Strategy
良い戦略の核(3要素)
診断: 状況を診断し、取り組むべき課題を見極める。
基本方針: 診断で見つかった課題にどう取り組むか、大きな方向性を示す。
行動: 基本方針を実行するために設計された一貫性のある一連の行動。
特徴:①新たな強みを生み出す ②視点を変えて新たな強みを発見する
Bad Strategy
悪い戦略の特徴
空疎である(中身がない、言葉だけ)。
重大な問題に取り組まない。
目標を戦略と取り違えている。
間違った戦略目標を掲げている。
背景姿勢:①困難な戦略を避ける ②テンプレートで戦略を作成する ③「うまくいくと信じればうまくいく」という思考
『戦略の要諦』 ― Crux(クラックス)の発見
戦略とは、「組織の運命を左右する重要で困難な課題(Crux)」 を特定し、それを突破するために限られた資源を集中させる一連の行動計画である。「ビジョン」「スローガン」「願望」だけでは戦略ではない。多数の問題の中から「もしこれを突破できれば、状況が一気に好転する 」という一点を選び出し、その一点を組織として本気で取りにいくことが戦略の核となる。
1
困りごとを書き出す
この1〜3年でいちばん困っていることを 3〜5個 書き出す。粒度はバラバラでよい、まずは出すことが先。
2
「なぜ」を3回掘る
それぞれの困りごとについて、「なぜそうなっているか」を3回ほど「なぜ」で掘り下げ、構造的な原因に近づける。
3
影響の大きい原因に丸を付ける
出てきた原因のうち、「ここが変われば他もかなり変わる」と思えるものに丸を付ける。波及効果の大きさが基準。
4
突破可能なものに二重丸
丸を付けた中から、「難しいが不可能ではない」ものに二重丸を付ける。挑戦に値するが現実味のあるものを残す。
5
1つに絞り、覚悟を決める
二重丸の中から、「そこに時間とお金を振り向ける覚悟があるもの」を 1つに絞る 。これがCrux ― 突破すべき一点である。
農業経営におけるCruxの発見も同じ手順で行える。労働力・販路・後継・気候適応――複数の課題から「ここが解ければ他も連動する」一点を見つけ、限られた資源を集中投入する。これがルメルト戦略論の実装である。